麻(大麻)について
「 麻 」とは
現在「麻」という言葉は「繊維となる植物の総称」のように扱われておりますが、日本では古来、麻と言えば「大麻草」のことを指します。 しかしながら 衣類などの「品質表示法」上において、麻は、リネン(亜麻)/ラミー(苧麻)を指しヘンプ(大麻)は含まれておりません。 *大麻繊維は、品質表示上「指定外繊維」(大麻繊維)などと表記されます。
日本人の生活・文化を支えてきた「麻(大麻)」
縄文土器に付けられた模様のなかに麻の縄で付けられたものがあるように、日本人は太古から、麻を生活を支える素材として余すことなく利用してきました。麻の茎の表皮からとった繊維は、漁網、畳の経糸といった各種縄・糸として、上質なものは、生奈良晒、近江上布などの衣類に。また漆喰壁や(茅とともに)葺き屋根の材料としても利用してきました。日本の夏の夜を彩る花火、花火の助燃剤は麻炭でなくてはなりません。七味唐辛子に入っている種、あれは麻の実(種)です。又、身の回りのものだけでなく、弓道の弓弦、小鼓などの楽器など、伝統文化・芸能の道具の素材として麻は欠かすことができないものです。さらに、大嘗祭あらたえ(天皇陛下が即位後初めて行う践祚センソ大嘗祭の時にのみ調製・調進(供納)する大麻の織物)、神社で御祓いに使われる神具(大麻・おおぬさ)、注連縄(しめなわ)や鈴縄、横綱の化粧まわし、など神事において麻は穢れを祓う力をもった特別なものとして、大切に扱われてきました。
「精麻」とは
大麻草の茎から皮を剥ぎ、それを研ぎ澄ました繊維を「精麻」(せいま)といいます。御神事に使われる麻もこの「精麻」で、その輝きの中から特に強い祓い清めの力がでてくる源泉として捉えられ、古来より日本では大切に扱われてきました。神社仏閣では多くの精麻が使われており、神事に不可欠なものとされております。
「作物」「植物」としての麻
麻(大麻)という植物は古くはクワ科の植物として数えられておりましたが、現在ではアサ科アサ属、雌雄別株の一年草と分類されております。麻は古来より世界の広い地域で、主に繊維取得用の作物として栽培されてきました。又、近年世界的に麻(大麻、HEMP)は自然素材として又バイオマス資源としての可能性に注目が集まり、産業、医療と様々な分野でその研究/利用が進んでおります。
日本においても太古より戦前まで、全国津々浦々で当り前に栽培され、繊維をはじめ種・茎と、その全ては様々な用途に利用され 日本の文化・生活を支えてきました。むしろ戦前は、国家的にその栽培を推奨していました。
大麻の葉や花穂に含まれる成分(THC)には向精神作用がありますが、インド大麻と異なり日本の在来種の麻のTHC含量は極めて微量であり、また現在国内で主に栽培されている改良品種の「トチギシロ」に薬理成分は殆ど含まれておりません。これら日本で古来より栽培されてきた繊維型の大麻が、過去に畑から盗まれ違法薬物として使用されたことはなく、又、厚生労働省による最新の検証においても、濃縮しても違法薬物として利用される恐れは考えにくい、との検証結果がでております。
伊勢の国と麻
神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)→ 地図
『倭姫命世記』では垂仁天皇25年、倭姫命が天照大神を伊勢の百船(ももふね)度会国玉掇(たまひろう)伊蘇国に一時的に祀られたときに建てられた神服部社(はとりのやしろ)がのちの麻績機殿神服社で、内宮が現在地に定まったときに内宮近くに機殿を作り、天棚機姫神(あめのたなはたひめのかみ)の孫の八千々姫命(やちぢひめのみこと)に神の教えに従って和妙を織らせた。倭姫命は翌垂仁天皇26年、飯野高丘宮に機屋を作り、天照大神の服を織らせた。そこに社を建て、服織社(はたとりのやしろ)と名付けた。神麻績氏の住む麻績郷(おみのさと)で荒衣を織らせた。
『 荒妙(あらたえ)』の奉織
荒妙は神麻績機殿神社境内の八尋殿で奉織される。男性の織子は毎朝8時に出勤する。白衣白袴を着用し、指先を荒らさないようにするのは和妙の奉織と同様である。織機に縦糸を取り付け、横糸を糸巻き機で巻いた後に水に浸ける。かつては松阪市御麻生薗(みおぞの、神宮の麻園に由来する地名とされる)産の麻を使用していたが、現在は奈良県奈良市月ヶ瀬産の麻を使用している。
910本の縦糸で幅1尺(約30cm)、長さ4丈1尺(約12.4m)の荒妙を織る。作業は織子4人で行なう。1人が織機を操作し、1人は伸子(しんし)を張り替え、残りの2人は織機の左右両側で待機し、糸が切れたら繋ぐ。麻糸の引張り強度は湿度で大きく変化する。湿度が低いと特に切れやすくなってしまうが、逆に高すぎてもやや切れやすくなるため、奉織の進み具合は天候に大きく影響される。通常5-6日で織り終わるが、作業が遅れると蝋燭の灯りを頼りに夜遅くまで作業し、10日ほどかかることもあるという。
御麻生薗(みおぞの)
麻生(あそう)、西麻生(にしあざぶ)・・・日本各地に「麻」がつく地名は多くあります。その多くは麻が繁茂もしくは栽培されていた土地と考えられます。
三重県松阪市に「御麻生薗(みおぞの)」という地区があります。前述の神麻続機殿神社で今も奉織されている麻織物(荒妙)の麻は、かつてはここ御麻生薗で栽培されていました。
御麻生薗は往古より伊勢神宮の神領であり国司の支配を受けていませんでした。またこの地域には「天麻神社」「逢麻神社」といった神社もあり、「阿波曽町」という名も残っております。古来朝廷より麻の栽培/奉織を司った氏族(忌部氏)が「阿波忌部」であることからも、この地と麻の繋がりの深さを感じずにはいられません。
麻が日本中で広く栽培されていた時代において、この御麻生薗の地が、神様に奉納する特別な麻の栽培地として選ばれたのは、天候、地質等が麻の栽培適地であっただけでなく なにか特別な意味があったと思われます。